こんにちは。カズゥです。
以前書いた記事。
【雑談】なぜ岩手に野球の怪物が生まれるのか?【大谷翔平】【菊池雄星】【佐々木朗希】 | カズゥちゃ当たる
この記事を書いた後も、大谷翔平選手はMVPを取るわ、投打W規定に到達するわ、佐々木朗希投手は完全試合をするなど2人とも大活躍でした。
そこで、続編を書きたいなあと思っていて、ひらめいたのが「リープフロッグ」でした。
これまた以前の記事。
【読書感想文】リープフロッグ 逆転勝ちの経済学 を読んでもしかすると日本はAI大国になるかもしれない と感じた
リープフロッグとは、蛙飛びのことです。
蛙が跳躍して何かを飛び越えるように、それまで遅れていた国が、ある時、急激に発展し、先を行く国を飛び越えて、世界の先頭に踊り出る。そして世界を牽引する。
リープフロッグの特徴は「遅れていたことが有利に作用した」ということです。
つまり、岩手県の野球は、ちょっと語弊はありますが、他地域と比べると遅れているからこそのリープフロッグが起きたということです。
では、岩手の野球を少年野球時代から見てみましょう。
少年野球時代
強豪校がある地域では、少年野球時代からその強豪校への入学がなんとなーく、目標になるかと思います。そうすると、逆算で少年野球の練習も決まってきます。
その結果どうしても、バントが多くなる、なるべく三振はしない、なるべく四球は出さないなど、勝利にこだわった野球になって、勝利至上主義に陥りがちです。
岩手には強豪校がありません。花巻東があるじゃないとお思いでしょうが、超強豪校ではないんですよね。よく、甲子園出場を逃すことがあります。
すると、少年時代からの目標が強豪校入学ではなく、目標がその先になるか、または逆に無かったりします。
指導者や保護者も勝ちにさほどこだわらず、大らかに見守ることによって、バットを思いっきり振る、四球を恐れず思いっきり投げるなど、プレーのスケールが大きくなっていきます。
参考記事:菊池雄星、大谷翔平、佐々木朗希…なぜ岩手から“野球界の怪物選手”は生まれるのか? 現地取材で導く「3つの理由」
高校野球時代
昨年、仙台育英が優勝をして優勝旗がやっと白河の関越えを果たしましたが、過去の東北勢は甲子園の早い段階で敗退してしまうことから、逆に肩ひじの温存になっていました。
佐々木朗希投手に至っては、県大会決勝を登板回避しました。当時の大船渡高校の國保監督の「故障を防ぐため」という判断によるものでした。
もちろん、賛否両論が巻き起こりました。佐々木朗希投手が完全試合を成し遂げた今、この登板回避は英断とされていますが、このような選択をできるのも、岩手の大船渡高校という、地方の公立校だからこそではないでしょうか。
大船渡高校でさえ、批判の電話が殺到したのですから、もしこれが、甲子園出場が常連の強豪校ならば、登板回避という選択肢は許されないでしょうし、OBやマスコミの批判は凄まじいものがあるでしょう。そもそも、強豪校の監督は登板回避という選択肢は恐ろしくて頭の中に浮かばないと思いますw
このように、岩手は指導者がOBやマスコミの批判にさらされにくく、自由な指導ができる環境が整っているといえます。
参考記事:メジャーが注目する”岩手と剛速球”の秘密 「令和の怪物」佐々木朗希誕生の裏 (3ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
プロ入り後
プロ入り後も、大谷翔平選手と佐々木朗希投手は長期的な育成計画を持った指導者に恵まれます。
大谷翔平選手は日ハムに入団し、栗山監督(元)と出会い、二刀流の道を歩みます。
佐々木朗希投手は、千葉ロッテに入団し、井口監督(元)、吉井投手コーチ(現監督)に出会い、1年目に試合に出場せずに、体作りをする長期的な育成計画を実施します。
ここで、二人に共通するのはパ・リーグのチームに入団したということです。
これが、セ・リーグの人気球団だとしたら、風当たりはもっと強かったと思います。OBはもっとうるさいでしょうし、マスコミも批判の記事が多くなるでしょう。
大谷選手の二刀流にはもっと反対の声が上がったでしょうし、佐々木朗希投手の試合に出ない体作りも、OBあたりから、「試合で投げ込んでこその強化だ!」みたいな声が聞こえてきそうです。
あと、大谷選手の同期には大谷選手より当時の評価が上で、なおかつ甲子園のスターだった藤浪晋太郎投手がいましたし、佐々木朗希投手の同期はゴールデンエイジと呼ばれる、好選手がそろっていましたので、令和の怪物といえども、一人だけ目立つということは無かったように思います。
二人とも、うまく他の選手に隠れて長期的な育成計画を実行できた感じがあります。
正直、わたしが小さい頃の野球選手で、プロ野球の岩手県人選手というのは本当に少ないものでした。覚えているのは、欠端光則投手ぐらいでした。
一方、他の東北地域に目をやれば、うらやましいほどの好選手がそろっていました。秋田県には、落合博満選手や、山田久志投手。宮城県には、大魔神こと佐々木主浩投手、斎藤隆投手などがいます。ホント、うらやましかったですねw
しかし、岩手県人選手が少ないということは、裏を返せば、いろいろなしがらみが少ないということです。高校のOBも、大学野球のOBも、プロのOBも少ないということです。
日本には体育会系特有の、先輩が上、後輩は下、の年功序列があります。先輩の言うことは、絶対何が何でも従え、みたいなヤツです。
つまり、今の岩手県人選手たちは、こういったしがらみから解放されているということです。
岩手県人の忍耐強さが長期的な育成計画を受け入れることができる
ここまで書いてきて、別に岩手じゃなくても起こりうることなので、最後に岩手要素を絡めておきますw
岩手県人のよく言われる性格は、忍耐強さ、粘り強さなどですね。その岩手県人の性格が指導者の長期的な育成計画とピッタリ、マッチしたんじゃないかなと思っています。
大谷選手は、高校時代にマンダラチャートによって長期的な目標を立てていたのは有名です。
大谷選手はウェイトトレーニングを取り入れ、肉体強化に努めました。ウェイトトレーニングは長期的な計画が無いと挫折しやすいです。バーベルを5回上げたからといって、すぐ筋肉がつくわけではないですからね。
佐々木朗希投手は、お相撲さんみたいに股割りができます。180度開脚ですね。もともと体は硬いほうで、中学3年からストレッチを続けてここまでの柔軟性を手に入れたそうです。まさに長期的なトレーニングですねw
参考記事:これが163キロを生む柔軟性!ロッテ佐々木朗希が180度開脚ストレッチ動画を野球少年に公開|FNNプライムオンライン
まとめ
結局は、良い指導者と出会い、その指導者の長期的な育成計画をまわりのいろんな雑音に負けずに貫けるかのような気がします。
岩手県人選手には、それを実行しやすい環境があったということなのかなと思います。