こんにちは。カズゥです。
今回の読書感想文は、「脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出」です。
どんな本?
著者の鈴木大介氏は、子どもや女性、若者の貧困問題の当事者を取材し、記事や書籍を書くルポライターです。
41歳で脳梗塞を発症し、高次脳機能障害が残っていると担当の医師から診断されます。
そこからリハビリをして回復するまでの記録です。
回復過程で社会的な不適応を起こし、その症状が彼が取材していた「当事者」の抱えている症状に似ていることに気づきます。
ここでいう「当事者」とは、かつて「極めて被害的な立場」の経験があり「支援しなければならない人たち」なのに、まったくそうは見えない貧困に苦しむ人たちのことです。
彼ら、彼女たちは全身刺青のアウトローや、売春で生計を立てるシングルマザーなどですが人知れず睡眠薬に頼ったり、鬱病やDVのPTSDに苦しんでいます。
彼ら、彼女たちが社会に不適応なのは「脳の機能障害」があるのではないかとの仮説を提示し、なぜそうなるのか?ではどうすればいいのか?がこの本で書かれています。
僥倖
鈴木氏は、今回の高次脳機能障害のことを僥倖と表現します。なぜなら、長年取材してきた「当事者」の気持ちが一端でもわかることができると、天から降りてきた気づきのように感じます。
ま、僥倖と呼ぶには大分つらかったらしく、二度とあの地獄には戻りたくないそうです。そりゃ、そうです。
わたしにとってもこの本は僥倖と感じました。
なぜなら、普通に生活しておられた方が、ましてや「当事者」を取材してこられた方が一時的にせよ、脳の機能障害に陥り、回復し、その過程を説明してくれるのは、稀有なことなのではないかと思うからです。
そして、この本を読んでわかったことはわたしも「脳コワさん」の一人だということです。
脳コワさん
鈴木氏は「脳の機能障害」を持つ人たち、つまり「脳が壊れた」人たちを「脳コワさん」と定義します。
何々障害とストレートな言い方だと衝撃を感じるので、この本では受け入れやすそうな「脳コワさん」の呼び方を採用しています。
実際の「脳コワさん」の命名者は鈴木氏の奥様です。彼女は大人の発達障害を持ち、二十代前半にはうまく社会に適応できずにリストカットを繰り返し、何年も精神科通院を続けた過去があります。
彼女もまた、「当事者」の一人で鈴木氏の苦しさを見抜き全面的な支援をします。
彼女は「脳コワさん」と同じように、「脳の機能障害」の諸症状に、少々変なネーミングをします。
例えば、
・井上陽水
・架空アイドル現象
・夜泣き屋だいちゃん
・口パックン
・イラたんさん
・初恋玉
などです。
こうして変なネーミングをされたことによって、鈴木氏は少しだけ苦しさが和らいで、立ち向かいやすくなった気がしたそうです。
この鈴木氏の奥様の「脳の機能障害」のいろいろな症状に怖そうな名前ではなく、少々ふざけたネーミングをすることによって苦しさを和らげることに、わたしもメリットを感じていて、この本を読了した数日後の夜中にふと目を覚ましたのですが、胸に不安感がよぎりザワザワしていました。その時、この本ではこのような不安感のことを「ザワチン」と呼んでいたことを思い出し、「こんな夜更けにザワチンかよ!」と心の中でツッコミを入れると、幾分か不安感がおさまり、再び眠ることができた、ということがありました。
井上陽水
「脳コワさん」の症状の一つである「井上陽水」とは、
「羊水に包まれた胎児のように、何か見えない膜を介して現実世界に接しているようで現実感がない」という違和感の、羊水をもじって「井上陽水」である。
違和感とは、「自分が自分でない感じ」、「なにか自分は現実世界ではないどこかにいて、映画としてその視野を観ているような、非現実感がある。」だそうです。
鈴木氏はその現実感のなさから逃れたくて、自分の身体を鋭い刃物で切り刻みたい衝動に駆られます。
この「井上陽水」の正式名称はアンドレ・カンドレではなく、「離人症」もしくは「解離性障害」です。
離人症(りじんしょう、英: Depersonalization)とは、自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるような状態を感じること。 その被験者は自分が変化し、世界があいまいになり、現実感を喪失し、その意味合いを失ったと感じる。
引用:Wikipedia
解離性障害
それぞれの人にとって大きな精神的苦痛、限界を超える苦痛を感じた時、感情を体外離脱体験や記憶喪失という形で切り離し、自分の心を守ろうとする。
引用:Wikipedia
鈴木氏は、「井上陽水」の正体を脳梗塞後の症状、「脳の情報処理速度の低下」によるものと推測します。
脳に入力される情報を処理する速度の、病前の素早かった身体感覚の記憶と、病後の実際の遅延した身体感覚のギャップが積み重なった結果としての現実感の喪失と解釈します。
それはコンマ何秒の微細な処理の遅延でも、積み重なると「井上陽水」に包まれるということのようです。
事実、病後に脳の速度が取り戻されていくのと同時に現実感も回復していったそうです。
わたしと「井上陽水」
わたしも、40年間ぐらいこの「井上陽水」とともに生きてきました。と、書くと井上陽水ファンのようですが、そうではなく、「離人」「解離」の症状に悩まされてきました。
例えるなら、自分の上空に別の自分がいてまるでラジコンのようにわたしを操っているという感覚です。
その感覚は不快なもので記憶喪失の方が自分が何者かわからず苦しむときはこんな感じなのだろうか?といったものです。
普段、その感覚を忘れているときはいいのですが子供時代はお風呂などでふいに思い出し現実感を失うことがありました。
「やばい!あの気持ち悪いのが来る!」そういう時は一生懸命好きなウルトラマンや仮面ライダーのことを考えて、やり過ごしたりしたものでした。
こんな気持ち悪いのは誰かに相談したところでわかってもらえるだろうか?誰かに相談したとしても、かえってわたし自身が気持ち悪がられるのではないか?と親にも相談できずにいました。
ようやく、40年もたってわたしの症状が「離人」「解離」とわかったのはyukiさんの
「いつも空が見えるから」の「解離」のページでした。
そしてわたしがなぜ「離人」や「解離」になった原因がわかったのですが、それは後ほど書きます。
なぜ、「離人」や「解離」になるのか?
鈴木氏は、
もしかすると、実際に離人や解離の診断を受けている当事者の脳も、こうした情報処理の遅延が自己防御的に起きているのかもしれない。
と推測します。
わたしも同意見で、脳への情報入力の速度と脳の情報処理の速度のギャップにあるのではないか?と思っています。
強いストレスやトラウマを受けた人が、再び過去と同じトラウマ体験の恐怖を目の当たりにしそうになったとき、心が恐怖を感じる前に、目を閉じる、意識を飛ばす、などの心の逃避行動ができるように、あえて脳が情報の入力と処理にギャップ、ズレをつくっているのではないか?そして、その代償として現実感を失ってしまうのではないか?
また、「離人」や「解離」の症状がある方は心がいつでも逃げられるよう、心が常に逃走モードなので、疲れやすい人が多いのではないかと推測します。
夜泣き屋だいちゃん
鈴木氏は、就寝前のベッドの中で七転八倒のパニック発作を起こし悶絶します。その症状を奥様は「夜泣き屋だいちゃん」と名づけます。
あれこれ試した結果、そのパニックの最善の対策は奥様の「背中撫で」でした。
わたしにも同じような経験があります。
「夜泣き屋かずちゃん」になるわけですが、わたしは、アルコールはビール党でしたが、糖質をゼロにしたいと考え、焼酎のノンアルコールビール割という魔の飲み物を思いつきます。(真似しないでくださいね)
最初はまあまあ上等な焼酎を使っていたんですが、そのうちコスパ、安く多く飲みたいと考え、4リットルのペットボトル焼酎にチェンジしていきました。つまり合成酒ですね。
みなさん、アルコール購入をコスパで考えだしたら依存症の始まりですので、気を付けましょう。(ニッコリ)
その魔の飲み物を半年ほど飲み続け、週に1日ほど設定していたある日の休肝日にとうとう離脱症状を起こします。
震え、悪寒、痙攣、ついでに脳の余計なお世話でせっかく忘れていた幼少期の記憶をフラッシュバックしてしまいました。
それは、5歳ごろに酒に酔った祖父から受けた虐待の記憶でした。実に40年ぶりに思い出したのです。
しまいには、深夜0時に祖父が虐待に来るという妄想に取りつかれ、わたしは、5歳のころに戻ったかのように恐れおののいていたのです。
わたしは妻に頼み、背中をさすってもらうと落ち着きを取り戻すことに気が付きました。その夜は妻に子供のように抱きつき、なんとかその妄想の恐怖の夜をしのいだのです。
その日から今日までアルコールは一切断っています。(いまのところは)
もちろん、「高次脳機能障害」と「アルコールの離脱症状」はちがいますが、多量飲酒によっても脳にはダメージがあるでしょうから、似ているところがあるのではないかな?とも思いました。
ちなみにさきほど書いたわたしの「離人」「解離」の症状の原因は幼いころに受けた、この祖父からの虐待のトラウマによるものだと思います。
思考の無限ループ
こういったパニック(わたしの場合はアルコールの離脱症状でしたが)は、わたしの素人考えですが、プログラミングの無限ループに似ている気がします。
ストレスやトラウマなどにより、脳に無限ループの回路のようなものができて、何かのきっかけでそこにつながってしまうと意識が過剰に自分自身に集中してパニック症状が起きる。
プログラミングでは無限ループから抜けるにはbreak文が必要ですが、同じように思考の無限ループから抜けるには自分以外の「他者」の皮膚感触がbreak文になるのではないか?と思います。
自立じゃなくて孤立
以前、こういった投稿をしました。
わたしが言いたいことをうまく文章化できず、モヤモヤしたままうっかり投稿した(おい)記事ですが、鈴木氏の奥様が一言で表現していました。
「ねえ、何でも自分でやるっていうのは、自立じゃなくて孤立だっていうでしょ? あなたの場合はいずれ回復するかもしれないんだから、やれないことはもっと周りに頼れよ」
そうです!これが言いたかったんです!
「何でも自分でやるっていうのは、自立じゃなくて孤立」
脳コワさん伴走者ガイド
第六章は脳コワさん伴走者ガイドです。
周辺者でも支援者でもなく「伴走者」なのは、「脳コワさん」は何事もゆっくりなので、同じ速度でよこを歩いていてほしいという鈴木氏の願いが込められています。
わたしには、「伴走者」はいませんでした。医療機関に繋がることもなく、基本放置でした。両親の世間体を考えてのことか、医療機関に連れて行っても薬漬けにされる可能性を恐れてなのかはどちらもいない今ではわかりませんが。
不登校になった10代のころは寝る前に、5回も6回も部屋の全部の家電の電源をOFFにしたかを確認してからでないと眠りにつけませんでした。この症状が「強迫性障害」だったと気づいたのは成人して本を読んでから知りました。
わたしの息子は、発達障害です。医療機関とも繋がっています。でも、わたしは親なものですから、ついつい息子の辛さ、苦しさを「しっかりしなさい!」とか「甘えるな!」と叱りがちです。そんなときは、鈴木氏の「脳コワさん」が「つらい」と言ったことは前面肯定してあげてほしい、との言葉を胸に刻んで、わたしの二の舞にならないように、息子の良き伴走者でありたいなと思いました。
発達障害者支援メソッドは「脳コワさん」にも有効
発達障害者の支援メソッドは、「脳コワさん」にも有効とのこと。
わたしも息子の障害を調べるために色々本を読みましたが、同感です。例えば、SST(ソーシャルスキルトレーニング)というのがあります。
ソーシャルスキルトレーニング(SST)とは?支援の対象、方法、気をつけたいポイントについて【LITALICO発達ナビ】
ソーシャルスキルトレーニング(SST)とは、人が社会でほかの人と関わりながら生きていくために欠かせないスキルを身につける訓練のことを指します。発達障害のある子どもなどに対して効果があるとされ、学校や療育施設、病院などで取り入れられています。
このSSTなんか、わたしは発達障害の診断がついてからじゃなくても、発達障害のあるなしにかかわらず全ての子どもに有効ではないか?と思ったりするんですよね。いや、むしろ子どもも大人にもこのトレーニングは有効かもしれません。
うちの息子は小さいころ、発達に遅れがあるとの診断を受けていろいろなところに相談に赴いたんですけど、「様子を観ましょう」と言われ続けたんですよね。こうやって様子を観すぎて見過ごされて発達障害と大人になってからようやく診断される方もいると思うんですよね。そして、社会に出られない人たちが増えていく・・・。
学校の道徳よりSSTをみんなでしたほうが有意義な気がするんですけどね・・・。
トレーニングという言葉に何か堅苦しさを感じるなら、今はこういうアナログゲームを遊びながらの療育の仕方もあります。
アナログゲームでの遊びを通して、例えば、ゲームに負けると異常に悔しがる子、ルールを守れない子、普段落ち着きがないのにゲームのルールはなぜかきちんと守る子、などいろんな子の特性が見えてくると思います。
また、こういうアナログゲームで遊びながら「脳コワさん」の失われたコミュニケーション力を回復させることができるかも?と思ったりします。
最後に
鈴木氏は、誰もが高齢者になれば高次脳機能は衰えるように、加齢でも事故でも病気でもストレスでも、脳が壊れるというのは誰にでも起きうる、日常と隣り合わせのことと主張します。
これは、あくまでもわたしの想像の架空の話ですが、例えば、家電メーカーが感覚過敏の方を考慮して各製品の更なる静音化技術に磨きをかけたとします。もちろん、聴覚過敏のある方は楽になるわけですが、聴覚過敏のない人にも恩恵があると思うんですよね。聴覚過敏のない人でも、脳が音の取捨選択をしているだけで音の情報は聴覚過敏のある人と等しく脳に入力されているわけです。実は、原因不明の頭痛の正体が電化製品のノイズだった、それが家電メーカーの努力によって緩和された、なんてことがあるのではないかと妄想してみたりします。
そんな妄想をしつつ、鈴木氏の「脳コワさん」が住みやすい社会は、一般の人にも住みやすい社会との言葉には、わたしも首がもげるほど首肯するのです。
長くなりましたが、この世の中に生きづらさを感じている方は、この本に楽に生きていけるヒントがあるかもしれません。一度手に取って読んでみてはいかがでしょうか?
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