こんにちは。カズゥです。
今まで【脱ニート】というカテゴリにしてたんですけど、考えがあってカテゴリを【ニートの生き方】に変えました。
今回は、コミュニケーション能力「コミュ力」について考えてみます。
「コミュ力」無くても気にしなくていいよ
「コミュ力」も才能のひとつです。
ウサイン・ボルトが陸上で速いように、マイケル・フェルプスが水中で速いように、リオネル・メッシの足にボールが吸い付くように、スティーブ・ジョブズがイノベーションを起こすように、誰とでもすぐに仲良くなれる「コミュ力」の天才がいるのです。
ですので、われわれ凡人はそんな天才を目指さなくていいのです。「コミュ力」が無くても気にしなくていいのです。
というわけで、もう結論がでましたが、せっかくなのでもう少し掘り下げてみましょう。
まずは、「コミュ力」の天才たちを調べてみます。
豊臣秀吉
日本における、「コミュ力」の天才といえば、「豊臣秀吉」でしょう。人たらしと言われていましたね。
まずは、上司である織田信長に気に入られ、農民出身(諸説あるようですが)としては異例の出世をします。
竹中半兵衛や、黒田官兵衛、石田三成などの優秀な部下にも恵まれていましたし、彼らの後押しによっても天下統一を果たすことができました。
劉邦
漢の初代皇帝である「劉邦」(高祖)は、中年まで定職にもつかず、酒食を好んだ遊び人でしたが、なぜか多くの人に好かれ、彼が酒屋に寄ると客が集まり満員になったそうです。
戦はあまり強くなく連戦連敗でしたが、部下の諫言をよく聞き入れ、信頼することによって部下がのびのびと活躍します。
ライバルであった「項羽」に勝ち、中華を統一した「劉邦」は天下を勝ち取った理由をこう語ります。
わしは張良のように策を帷幕の中に巡らし、勝ちを千里の外に決することは出来ない。わしは蕭何のように民を慰撫して補給を途絶えさせず、民を安心させることは出来ない。わしは韓信のように軍を率いて戦いに勝つことは出来ない。だが、わしはこの張良、蕭何、韓信という3人の英傑を見事に使いこなすことが出来た。反対に項羽は范増1人すら使いこなすことが出来なかった。これが、わしが天下を勝ち取った理由だ
引用:Wikipedia
藤子不二雄Ⓐ
紀元前の中国、戦国時代の日本ときて急に昭和の日本にぶっ飛んで恐縮ですが、漫画家の「藤子不二雄Ⓐ」先生です。
漫画家になる前は、新聞社に勤めていて、
ちょうど伯父が富山新聞の重役だったんですよ。それで2年ほど勤めました。給料もいいし、取材でいろんな人にも出会えるし、満足してましたよ。
と語っています。しかし、もうひとりの藤子不二雄である藤本弘氏(藤子・F・不二雄先生)が、
彼は工芸高校に行ってたんだけど、なぜかお菓子会社に就職した。それで朝出勤して昼には辞めたと言って帰ってきた(笑)。あのころ、就職といったら一生の時代ですよ。それを一日で帰って来た。「俺は家で漫画を描き続けるけど、おまえは新聞社へ勤めていろ」って言いに来ました。それが、僕が新聞社に勤めて2年目の夜、藤本君がやって来て「新聞社をやめて一緒に東京へ出ようよ」と。藤本君が「止めろ」と言った。
命令口調だったそうですw
これはわたしの個人的な考えですが、シャイな藤子・F・不二雄先生が上京するときに心細いため、「コミュ力」のある藤子不二雄Ⓐ先生をエージェントとして、つれていったのではないでしょうか?
また、上京後は木造2階建てのアパート、トキワ荘に住むことになるのですが、そこには「石ノ森章太郎」や「赤塚不二夫」などのそうそうたる漫画家が住んでいました。
元来、漫画少年というものは内気で人見知りな子が多いのですが、藤子不二雄Ⓐ先生はトキワ荘においても漫画家同士の潤滑油になっていたようです。
様々なパーティ・飲み会に顔を出し、バラエティのレギュラー番組を持つこともあったなど、非常に社交的で老若男女問わず友人が多いことで知られているが、その割には意外にもシャイな性格だという。
引用:Wikipedia
と、自称シャイな性格ながらも非常に社交的です。
人は生まれてから学習することが多い生き物
子馬は生まれて1時間もすれば立つことができますし、3時間もすれば走ることもできます。それは肉食動物から逃げるためですが、実はお母さんのおなかの中にいるときから走る練習をしています。
それと比べると人間は、脳の容量が大きく進化したため頭部が大きくなりました。そのままの出産では頭部の大きさによる難産で母体に命の危険を与えるため、頭部が小さいうちに生むように進化しました。
それはつまり、生まれてから学習することがとても多い生き物ということです。子馬のようにお母さんのおなかの中でいろいろなことを練習できないのです。
ハイハイをして、立って、歩く、までも時間がかかりますし、言葉もすぐに喋れるようになるわけではありません。
本来は「コミュ力」もトレーニングが必要
人間は言葉はもちろんですが、読み書きも学習しますし、遠投や水泳などの運動も学習します。
しかし、それは全ての人が「天才」を目指して学習するわけではありません。覚えておいた方が生きる上で有利だからです。
同じように「コミュニケーション能力」も、生まれつきの「天才」もいるかもしれませんが、生きる上で有利になるよう天才になれないまでも、本来は学習したほうが良いものだと思います。
学校では「コミュニケーション能力」の学習は読み書き学習と比べると、集団生活をしていれば自然と身につくだろうとあまり力を入れません。しかし、その結果大人になってから「コミュニケーション」に悩む人たちが多いです。以前の投稿の、
でも述べたように、学校で読み書き、運動と同じようにSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)などを取り組むといいのではないかと個人的には思っています。
「コミュ力」があっても幸せになるとは限らない
ウサイン・ボルトみたいに速く走れなくても誰も悩みません。同じように「秀吉」や「劉邦」のように誰とでもうまくやれる「コミュ力」がなくても別に悩む必要はありません。現代社会においては、店員さんや各種窓口の人と話せるぐらいで充分です。
また、天才的な「コミュ力」があっても幸せになれるとは限りません。
「秀吉」、「劉邦」といった「コミュ力」の天才たちの後半生はどうなったか見てみましょう。
豊臣秀吉の後半生
天下統一以降、秀吉の後半生は、胸のすくような活躍を遂げた前半生と比べるとダークです。
千利休切腹、豊臣秀次切腹、また聚楽第に自身を非難する落書きをされた際は、
犯人を探索し7人を鼻削ぎ耳切りにした上で倒磔に処したのち、老若男女63人を磔、最終的には130人に刑罰を下している
引用:Wikipedia
といった苛烈さです。
竹中直人主演の大河ドラマ「秀吉」では、天下統一以前、以後の秀吉にギャップがあるためか晩年の秀吉のエピソード(暗部)をカットしていました。
豊臣秀吉が主役の大河ドラマは少ない? 竹中直人『秀吉』で晩年を描かなかった理由
劉邦の後半生
晩年の「劉邦」は、猜疑心の塊になり、あれほど信頼していた部下たちを次々と粛清していきます。
横山光輝先生の漫画「項羽と劉邦」では、劉邦の粛清のシーンは描かず項羽の死で終了しています。
物語は項羽の死をもって終了しており、その後の劉邦治世下における功臣粛清、呂一族の台頭などの部分についてはばっさりとカットされている。これは「この後の劉邦を描きたくない」という横山の意向である。ただし、横山の別作品である『史記』では、本作に比してダイジェスト的になりながらも、その時代についても描いている。
引用:Wikipedia
「劉邦」の後半生もまた中華統一以前、以後にギャップがありすぎて、描きにくかったのでしょう。
藤子不二雄Ⓐ
もちろんですが、すべての「コミュ力」の天才たちが、ダークな後半生を過ごすわけではありません。
藤子不二雄Ⓐ先生は、御年86歳、いろいろな人たちと交流を持ち多趣味で、精力的に活動されています。素晴らしい人生を送ってらっしゃると思います。
愛情空間と貨幣空間
個人的には、人と人との付き合い方というものは誰とでもうまくやる必要はないと思っています。
現代人の苦悩のほとんどは人間関係によるものです。
現代は人類が農耕や狩猟を行って生活してきたころよりも、人間関係が多すぎるのです。
文明の進化のスピードに比べると、脳の進化のスピードはゆっくりです。進化がゆっくりな脳は複雑に増えすぎた現代社会の人間関係を処理できません。
こういった苦悩には橘玲さんの著作『幸福の資本論』の記述が参考になると思いますので、引用して締めにしたいと思います。
「幸福な人生」のポートフォリオは、大切なひととのごく小さな愛情空間を核として、貨幣空間の弱いつながりで社会資本を構成することで実現できるのではないでしょうか。これをかんたんにいうと、「強いつながり」を恋人や家族にミニマル(最小)化して、友情を含めそれ以外の関係はすべて貨幣空間に置き換えるのです。