こんにちは。カズゥです。
今回は、マンガ感想文です。第1回は夢枕獏原作、谷口ジロー画「神々の山嶺(かみがみのいただき)」です。
全5巻のマンガです。わたしはKindleで読みました。
以前、読書感想文で取り上げた、「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」。
それ以来、登山関係の本を読みたくなって読んでみたのが、このマンガです。
原作も興味がありましたが、サクッと読めるのでマンガにしました。読んでみたら、サクッと読めるどころか非常に重厚感にあふれるマンガでした。
登山家への畏敬の念
昔から、なんか登山家の方への畏敬の念みたいなものがあって、よくもまあ、命を懸けて山に登るもんだなと感心というか呆れるというか。わたしは絶対に登山はしないですけどw
で、この畏敬の念がどこから来るんだろうと考えてみると、まず、子どもの頃に伝記で読んだ冒険家への憧れですね。ヒラリーとかアムンゼンとか。
あとは、やはりわたしみたいな昭和40年男はトラウマがあるんですよね。何のトラウマかというと「植村直己」なんですよね。
植村直己がマッキンリー登頂に挑戦するのをテレビで見て、子ども心に応援していたんですね。しかし、結局植村直己はマッキンリーで消息を絶ってしまいます。とても、悲しかったのを覚えています。どこかで、生きていてくれることを願っていたものです。
あらすじ
メンバー全員が45歳以上で構成される中年のエベレスト登山隊は二人の滑落死者を出し失敗に終わる。遠征に参加したカメラマンの深町は帰国する隊員と別れ、あてどなくカトマンズの街を彷徨う中、ふと立ち寄った古道具屋の店先で年代物のカメラを目にする。エベレスト登山史上最大の謎とされているジョージ・マロリーの遺品と見た深町は即座に購入するが、カメラは宿泊先のホテルから盗まれてしまう。カメラの行方を追ううちに、ビカール・サン(毒蛇)と呼ばれる日本人から盗まれた故売品であることが判明するが、故買商からカメラを取り戻すために深町の前に姿を現したビカール・サンはかつて日本国内で数々の登攀記録を打ち立てながら、ヒマラヤ遠征で事件を起こし姿を消した羽生丈二その人であった。
帰国後に羽生の足取りを追った深町は、羽生が登山家としては既に峠を越した年齢でありながら、エベレストの最難関ルートである南西壁の冬季単独登攀を目論み、その最中にカメラを発見したことを察知する。恋人との生活も破綻し、目標を見失いかけていた深町は羽生の熱気に当てられるようにカメラの謎と羽生を追い始める。
羽生丈二に感じる発達障害的生きづらさ
この伝説的クライマーの羽生丈二ですが、このマンガを読んでいてわたしは彼が発達障害的生きづらさを抱えていると、個人的に感じたんですよね。以下、その個所を書いてみます。
なおネタバレがありますので、ご注意ください。
強いこだわりがある
これはもう、登山のことしか考えていませんね。少しでも山で時間が空けば岩にとりつこうとします。
羽生は同じ仕事を3カ月以上続けることができませんでした。なぜなら、山に登るためにやめてしまうからです。
世間でいうまともな社会に羽生の居場所はありませんでした。登山のことばかり考えていて生活は荒んでいました。
また、山に行くために仕事をやめることを仲間にも強要します。そんな羽生のザイルパートナーは長続きせず、徐々に孤立していきます。
言葉の裏を読めない
第13話、エベレストの頂上アタックを狙うシーンでパーティを2つに分けます。
羽生は第2次アタック隊に選ばれます。羽生はこの頂上を2番目に狙うということを受け入れられず、山を降りてしまいます。
しかし、実は隊長の和賀は羽生に初登頂を狙わせるつもりでした。
第1次アタック隊は羽生に登頂させるためのラッセル(雪かき)隊の役目でした。しかし、隊長はそれを口にするわけにはいきません。第1次アタック隊にもプライドはあるからです。
ですが、口にせずとも第1次アタック隊もそれはわかっていました。羽生のパートナーの石渡も理解していました。理解していないのは羽生だけでした。
言葉の裏を読めない人間の不器用さが伝わる切ないシーンでした。
思ったことを口にしてしまう
羽生も所属する清風山岳会の飲み会で、羽生の言動は皆を辟易させます。それは、酒の上での戯言から始まった会話でした。
「ザイルパートナーと壁で宙吊りになったらどうするか?」
皆の意見は自分が助かるとわかっていても、パートナーのザイルは切れないでした。しかし、羽生は真顔で言います。
「おれなら切れるよ」
「そのままいればふたりとも死ぬことがわかっているのなら」
「おれは切るさ」
普通はそう思っていても心の中で止めておくものですね。
また、鬼殺しのスラブ、縮めて「鬼スラ」と呼ばれる谷川岳の一ノ倉にある難所中の難所。羽生はその鬼スラの冬季初登攀を成功させます。
清風山岳会がその成功を知らされた時のことです。ザイルパートナーの井上が横にいる前で、羽生はうれしさのあまり思っているままのことを正直に言ってしまいます。
「おれひとりで登ったようなもんかな」
「おれは井上がいなくたって登ってたよ」
「結局ザイルパートナーは誰でもよかったってことですよ」
それは、生命を懸けてザイルパートナーを務めた井上の前で言うべき言葉ではありませんでした。
羽生は自分が何を言ったか、それでどう人が傷つくかまるでわかっていませんでした。
記憶力が良い
もう一人の天才クライマー、長谷常雄と居酒屋で出会った時のことです。
長谷から「鬼スラ」について質問をうけた羽生は、登りきるまでの一挙手一投足を正確に記憶していました。
フラッシュバックする
記憶力の良さはいいことばかりではなく、フラッシュバックを起こすこともあります。フラッシュバックは、ただ思い出すだけではなく、その時の傷みまで甦ってしまいます。
羽生は決して自分の傷みというものに慣れることができなかった
家族が死んだこともヒマラヤに行けなかったこともそしてその後のエベレストにしても
羽生は傷みをいつまでも覚えていた傷みを忘れてしまう自分を許さなかった
また、岸文太郎というザイルパートナーを失ったことを何度も思い出します。
フラッシュバックというと、トラウマ的に語られることが多いですが、楽しかったこともフラッシュバックします。
11歳のときに羽生は初めて独りで山に登ります。その理由は楽しかったからです。
交通事故で亡くした両親と妹、家族の初めての旅行で行ったのが山だったからです。この時の家族との楽しかった唯一の思い出が彼の登山人生の始まりでした。
そして物語の終盤、深町が羽生の真の姿を理解します。
「羽生という獣がどれだけ傷みに敏感でどれだけ傷つきやすかったか」
「我儘で純粋」
「傷みを絶対に忘れないその痛みで生きている」
このとき、羽生はようやく自分を理解してくれる真の友を得ることができたのだと思います。
まとめ
羽生からは、なにか画家のゴッホみたいな不器用さと情熱を感じました。
発達障害的生きづらさを抱えながらも、大きいことを成し遂げる。世界はそんなマイノリティの力で変わり続けてきたのかなと感じました。
今回の記事を書くにあたって、調べていてわかったのですが、羽生丈二や長谷常雄などの登場人物の描写がまるで生きているかのようにリアリティさを感じていたんですが、モデルの登山家がいました。そりゃ、リアルなはずですなw
羽生丈二は森田勝さんで、長谷常雄は長谷川恒雄さん(そのまんま)でした。森田勝さんのことを書いた「狼は帰らず」という本もあるようです。いつか、読んでみたいです。
谷口ジロー氏の画も素晴らしく、第1話の冒頭から、まるで頭の中で記録映像が再生されるような美しさでした。
とにかく、生きる力がみなぎってくるようなそんな作品でした。ぜひ、読んでみてください。
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