ニートの生き方

【ニートの生き方】恥ずかしかったことの忘れかた【森田療法】

こんにちは。カズゥです。

人間、誰しも思い出したくない、恥ずかしかったことってありますよね。

仕事場でも、学校でも、恥ずかしかったことを、いつまでも覚えていることってあります。

わたしも、昔は仕事などでの恥ずかしかったことを思い出しては、それを打ち消すために奇声を発したものですw

そんなわたしも最近は、森田療法の本を読み、それを応用して、いくらか、ましになりました。

そこで、今回はわたしの『恥ずかしかったことの忘れかた』を紹介したいと思います。

日本人が苦手な恥をかくということ

昔、戦国時代の武士は、恥をかいたら切腹でした。

現代日本なら、恥をかいても、死ななくてすみます。良い時代になりましたw

しかし現代の日本人でも、人によっては、過去の失敗などを、死ぬほど恥ずかしく感じる人がいます。

社交不安障害(SAD)の方は、恥ずかしかったこと(特に人間関係)をいつまでも覚えていて、思い出しては苦しみます。

日本人は、完璧主義が多いので、少しの失敗などを過大に捉え、夜も眠れないほど恥ずかしく感じます。

しまいには、恥をかくことを恐れ、最初から、物事に取り組まなくなってしまいます。

恥ずかしかったことの忘れかた

「恥ずかしかったこと」を忘れるのは、 意外とむずかしいです。

なぜかというと、忘れようと思えば思うほど、恥ずかしかったことを思い出すからです。

恥ずかしかったことから、逃げようとするとその記憶が追いかけてきます。また、恥ずかしかった気持ちを抑え込もうとすると、ますます、強くなっていきます。

眠気と逆ですね。眠気は追えば追うほど、逃げていきます。眠気はけっきょく、訪れるのを待っているしかありません。

不眠の人が眠るのがむずかしいように、社交不安障害の人は、恥ずかしかったことを忘れるのがむずかしいのです。

1.恥ずかしかったことをあるがままに認める

森田療法では、自分の心の動きを「あるがまま」で認めます。

恥ずかしかったことを無理に無かったことにしようとせず、「ああ、あの時は、恥ずかしかったなー」とあるがままに認めればいいのです。

恥ずかしかった思い出を、無理に押さえつけたりすると、その恥ずかしかったことが記憶のVIPルーム行きになります。

2.思い出してもそのままにする

恥ずかしかった思い出は、頭の中に勝手に浮かんできます。

これは、自分ではコントロールできません。なので、浮かんできても、相手にせず、そのままにします。

そのままというのは、なんというか、放置するというか、ここらへんの説明が、むずかしいんですけどねw

まあ、そっとしておくという感じでしょうか。

3.メタ認知する

恥ずかしかったことを思い出してしまったときは、自分で自分にツッコむといいです。

「まーた、思い出してるよ、コイツ」みたいな感じで「まあ、いいよ、どうせ忘れるんだから」と付け足すと効果的です。

これは、自分の恥ずかしかったことを、他人事にするためです。他人事は忘れやすいですからねw

4.人に話す

恥ずかしかったことを、人に話すと意外と楽になります。

人によっては、笑い話になるかもしれませんし、リアクションが薄い場合は、それほど、大したことじゃないことの確認になります。

重大事のように、人に話さず、自分一人で抱え込むと、記憶が強化されます。

5.普段通り過ごす

恥ずかしかったことを思い出して、穴に入りたくなったとしても、入っていはいけませんw

普段通り、いつもの日常を過ごすというのが、大事です。

恥ずかしいことがあった次の日の朝、布団にくるまって、起きなかったりというのが、記憶の強化につながります。

6.後であえて思い出してみる

恥ずかしかったことがあって、しばらく時間が経ったとします。あえて、思い出してみるのもいいと思います。

恥ずかしかったことがあった直後と、気持ちの変化を比べてみます。

確かに、今でも恥ずかしく思うかもしれませんが、以前よりは、大分薄らいでいることに気づくはずです。

この恥ずかしかった記憶は、時間とともに薄れていくという実感が大事です。

この経験を積んでいくと次回、恥ずかしいことがあっても「どうせ、時間がたてば忘れるよ」と気楽になれます。

 

こうやって、恥ずかしかったことを 忘れる方法を実行していると、不思議なことに、以前なら恥ずかしいと思えていたことが、恥ずかしく思えなくなってきます。

恥ずかしく感じていたことが、どうでもいいことに変わったからです。

記憶の恥ずかしかったことが、どうでもいいことに変わると実際の恥ずかしいことも、どうでもいいことに変わるのが不思議です。

たぶん、認知行動療法のようになっているのかなと思います。

 

わたしの場合ですと、子供の学校行事などに参加した時に、大体は恥ずかしい思いをするわけです。

最初の頃は、思い出しては穴に入りたい思いがするのですが、この方法を実践していると、あまり、いつまでも引きずらなくなり、それほど、気にしなくなりました。
そのうち、子供の行事に参加するのも、以前よりは苦ではなくなりました。

繊細さを活かす

そもそも、恥ずかしがり屋さんは、繊細なわけです。

その物事の、いろいろ細かいところに気づく、繊細さを活かして、何かクリエイティブな活動をすれば他の人たちにはない、いいものができるのではないでしょうか。

しかし、その細かいところに気づく繊細さが自分自身に向けられると、気づかなくても良い、いろいろな自分の症状に気づきすぎてしまいます。

自分にあまりフォーカスを当てすぎると、自分のいろいろな症状にとらわれてしまうので、自分以外のモノにフォーカスを当てたほうが健康的だと思います。

年を取れば楽になる

わたしも若い頃は、自分で言うのもなんですが、繊細でした。

なんでもかんでも、恥ずかしく思って大変でした。しかし、年齢を経るとその繊細さも、いくらか鈍ってきますw鈍感力ですね。

今の若い子で、シャイすぎて大変な子もいるとは思いますが、それも年を取れば確実に楽になってきます。

その繊細さは若い時にしかないともいえるので、大事にしてほしいなと思います。

 

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA