こんにちは。カズゥです。
今回の読書感想文は、橘玲さんのTwitterで知った本で、河野啓著「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」です。
わたしは、本を読むのが(ブログの執筆も)遅いのですが、とても面白く一気に読んでしまいました。
どんな本?
2020年 第18回 開高健ノンフィクション賞受賞作。
両手の指9本を失いながら“七大陸最高峰単独無酸素”登頂を目指した登山家・栗城史多(くりき のぶかず)氏。エベレスト登頂をインターネットで生中継することを掲げ、SNS時代の寵児と称賛を受けた。しかし、8度目の挑戦となった2018年5月21日、滑落死。35歳だった。
彼はなぜ凍傷で指を失ったあともエベレストに挑み続けたのか?
最後の挑戦に、登れるはずのない最難関のルートを選んだ理由は何だったのか?
滑落死は本当に事故だったのか? そして、彼は何者だったのか。
謎多き人気クライマーの心の内を、綿密な取材で解き明かす。
ー集英社より
著者の河野啓さんは、北海道放送のディレクターで栗城さんを取り上げた番組を制作し、世に出すきっかけをつくった人でもあります。
著者は、2008年から2009年にかけて栗城さんを取材していたのですが、その後、栗城さんの心変わり(登山をやめ、政治家に転身する)を予感し、疎遠になっていたようです。しかし、その予感ははずれ栗城さんは、終生、山に登り続けました。
4回目のエベレスト登山で、9本の指を失い、8回目のエベレスト挑戦で命を落としてしまいます。
このことをニュースで知った、河野さんは栗城さんが登山を続けていたことに驚き、10年ぶりに取材を再開します。
栗城さんに関わった人たちと出会い取材をし、まとめたのがこの本です。
と、紹介するとカッコいいのですが、実際は栗城さんの活動には少なくない数のズルや不正があり、そこらへんも、取材を通して不憫に感じるくらい、暴かれていきます。
わたしは、栗城さんのことをこの本を読むまでは知りませんでした。栗城さんはネットで炎上したようですが、わたしは不思議なくらい記憶にないです。
わたしの感想
スピリチュアル登山家
この本では栗城さんと自己啓発、スピリチュアルとの関係を栗城さんの一要素として書かれてありますが、わたしは、栗城さんが、かなり自己啓発寄り、スピリチュアル寄りの人だったのではないかと感じました。
栗城さんには、自己啓発界では有名な「引き寄せの法則」を感じるんですよね。思考は現実化するってヤツです。強く願えば、実現する(引き寄せる)
「引き寄せ」は、現実的思考と現実的行動をうばいます。なぜなら、強く願えば実現する(と、思い込んでいる)からです。
だから、登山のトレーニングがおざなりなのかもしれませんし、ルート選択や高地順応も適当なのかもしれません。彼にとっての登山のトレーニングはエベレスト登頂成功を頭の中で強く願う、イメージトレーニングだったかもしれないからです。
まあ、わたしの勝手な想像です。人の意見を聞かないところも、それっぽいんですよねw
栗城さんが9本の指に凍傷を負い、入院していた時のブログに、『お見舞いに来てくれた方が、「夢があればまた指が生えてくるよ」と言ってくれました』とあります。このオカルトじみた励ましも、栗城さんは、なかば本気でとらえていたように感じます。
2004年、当時登山歴2年の小柄な栗城さんは、マッキンリー登頂に成功します。
栗城さんの人生は、周囲が「奇跡」と呼んだマッキンリー登頂がなければ、まったく違ったものになっていただろう。《彼にとって、どちらが良かったのか?》・・・その答えは本人でさえわからないかもしれない。
マッキンリー登頂をきっかけに、栗城さんは「引き寄せ」を実感していったのかもしれません。人もお金も面白いように集まってきたからです。それはまさに、強く願えば実現するでした。
しかし、エベレストという、現実には敵わなかった。「引き寄せ」で強く願っても、エベレストという、強く大きな現実には敵わなかった。
なぜ、エベレストに挑み続けたのか?
河野さんは栗城さんの武器を「しつこさ」と表現します。そのしつこさもあり、エベレストに挑み続けたのもあると思います。
しかし、わたしは、これも「引き寄せ」のテクニックと感じました。
最近読んだ本に、読書猿著「独学大全」があります。この本に「雨乞い」について面白いことが書いてあります。
雨が降るまで雨乞いの儀式は続けられるために「必ず雨を降らす」
独学大全より
つまり、雨乞いを続けている限り、いつか必ず雨は降るので、雨乞いが必ず雨を降らすことになってしまう。
これと似ている気がするんですよね。実力不足の栗城さんでも、エベレスト登山を続けていれば、たまたま好条件がそろったときに、少ない確率ながらも、エベレストを制覇してしまうかもしれない。
つまり、「引き寄せ」=「強く願えば実現する」のコツはしつこく続けることかもしれません。
なぜか嫌いになれない
この本の読後感はなんか、モヤモヤするんですよね。栗城さんのズルや不正に呆れながらも、なぜか栗城さんを嫌いになれない自分に気づきます。
それは、最終的に栗城さんがエベレストで死を遂げたことによってわたしの中で評価が上がっているのかもしれません。信長の本能寺の変効果ですね。
でも、よくわからない職業の人が、よくわからない肩書で、よくわからないぐらいの大金を稼いでしまう世の中にあって、なんちゃって登山家であっても、プロ下山家と呼ばれても、それによって、かえって登山の素人からも、登山のプロからも叩かれやすかっただろうに、最後まで「登山家」の肩書を貫き、登山を生涯続けたことは、評価してあげたいなあと思いました。
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